【ヒト図鑑】No.6 彫刻家・速水史朗さんの次女「速水規里さん」
父のアトリエを守り、新たな文化の風を。
今年98歳を迎える多度津町在住の世界的彫刻家・速水史朗さん。
そんな偉大な父を支えているのが娘の速水規里さんだ。
そんな規里さんの裏方としての美学と今後のビジョンを聞く。
白方にある、世界的彫刻家・速水史朗さんのアトリエ。これまでも数多くのモニュメントや彫刻作品がここから生み出されてきた。その場に立つと、石と土の匂い、作業の痕跡、時の重みをそのまま感じることができる。娘である速水規里さんは、父親の足跡が詰まったこの場所を、どう次世代へつないでいけるのか思いを巡らせている。
「アトリエは父の神聖な仕事場。だから制作の場そのものを壊すつもりはありません。でも、1階のギャラリーや庭は、もっと多くの人が触れられる場にできるはずなんです」
作品や資材でいっぱいの空間を片付け、1階を展示のスペースにし、子供も大人も、粘土をこねたり芸術に触れられるような場も持ちたい。それがアトリエを「守る」だけでなく「開く」ことであり、規里さんの考える未来の姿だ。

規里さんの原点には、芸術家の家庭で育った日常がある。
夏休みになると、両親は個展のために東京へ出かけ、祖父母と過ごすのが定番。
「友達は『家族旅行』の思い出を話すなかで、私にはあまりそういう経験がなかった」
と振り返る。幼い頃から「将来はデザイナーになる」と口にしていた。まだ「デザイン」という言葉の意味もわからない年頃だったが、幼い頃から表現の世界に惹かれていた。自分が書いた絵を父・史朗さんに見せると色々助言をしてくれる。ただ、『自分の絵じゃなくなる気がして』あまり見せなかった時期もあったとか。
「それでも父の姿から学んだことは確かに私の中に残っています」
DNAはしっかりと受け継がれているようだ。
規里さんは学芸員の資格も持つ。展覧会やモニュメント制作において、規里さんが担うのは、知識を活かした「黒子」の役割だ。展示のテーマを決め、作品の並べ方を考え、空間に合った形を探る。『これだ!』と展示の方向性が決まる瞬間が一番嬉しいと語る。
「そこから妄想が膨らんでいって、実際の空間にピタッと収まった時の快感は忘れられません」
見せ方を組み立てる過程に最も情熱を注ぎ、裏方として、史朗さんの作品や新しい挑戦が最もよく伝わる方法を常に考えているのだ。
規里さんの活動のひとつに、地域の子供達と取り組むワークショップがある。多度津小学校では十数年にわたり、6年生の卒業制作を史朗さんと指導、また、ライオンズクラブや学校の夏休みのポスターワークショップも、担当している。
「上手い下手じゃなくて、挑戦することが大事」
創作するというきっかけを子供達に与え、芸術の楽しさを届ける。子供達の満足げな姿に、大きなやりがいを感じるという。


取材中、規里さんの素顔を垣間見ることができた。忙しい日々の合間にどう過ごすかと聞くと、「とにかく寝る」と笑う。旅行に行きたいなと思っても、結局はテレビをぼーっと見ながら寝てしまう。それが一番のリフレッシュなのだそうだ。
 一方で、人生を楽しむ女性作家たちの話をしている姿に強い印象を受けた。自身の経験からも、女性作家には特別な思いがある。彼女たちと接することで人とつながり、人生を楽しむことの大切さを実感しているようだった。ちなみに、「お肉とワインが長生きの秘訣」と語る女性作家さんは多いそうだ。(笑)
規里さんの夢は、父が築いたアトリエを守りながら、未来に開くこと。単なる展示スペースではなく、誰もが学べる「ひらかれた場」を作るのが規里さんのビジョンだ。
「粘土に触れる機会の少ない今の子どもたちに、ものづくりの楽しさを体験してほしい。大人にとっても新しい学びの場所にできたら」
速水史朗という彫刻家の存在と、その作品群を背景に、規里さん自身の物語は動き出している。「黒子」として裏方を担ってきた彼女が描く未来図は、多度津に新たな文化の風を吹き込むだろう。
| 【編集部のつぶやき】 今年開催された瀬戸内国際芸術祭。多度津の高見島も秋会期の会場となっている。今、香川県はアート県として観光誘致を行っているが、多度津町にこんな素敵な父娘がいらっしゃることは大きな財産ではないだろうか。 いつの日か、規里さんの考える「未来に開かれたアトリエ」から、新たな世界的芸術家が誕生することに期待したい。  | 
 




